このブログをご訪問いただき、ありがとうございます!山梨県でウェブ制作会社を運営し、ウェブ制作・書籍執筆・講演活動を行っている服部雄樹と申します。
このブログでは、「もっと自由に働きたい」「好きな場所で暮らしながら安定した収入を得たい」という方に向けて、私が実践してきたノウハウ・スキル・考え方を発信していきます。「どうすれば、地方移住しても安定して稼げるのか?」このような疑問をお持ちの方に役立つ情報をお届けできればと考えています。
経歴、独立までのストーリー
このページでは、私が未経験からウェブ制作をはじめ、独立にいたるまでの経緯についてご紹介します。独立してから気がつけば11年になりますが、まったくの未経験から始めてどのように独立したのかというストーリーを包み隠さず書いています。
少し長い話になりますので、「そんなことより早くノウハウを教えて!」という方は、遠慮なく読み飛ばしてくださいね。
音楽活動に明け暮れ、夢破れた20代

私は10代〜20代前半まで「何者かになりたい」という野望だけを胸に、(今の自分からは想像もつきませんが)ラッパーとして活動しており、音楽で生きていくことを夢見ていました。しかし、現実はそう甘くなく、夢破れた私は縁あってあるオーディオメーカーに就職しました。「まぁ音楽に関われているしこれでいいか」と自分に言い聞かせながら、スピーカーを販売する日々。仕事は面白かったですが、特に変わり映えのない平凡な毎日を送っていました。
そんな2011年、東日本大震災が起こりました。それは、私の29歳の誕生日の翌日でした。
ニュースで流れる映像を見ながら、「人生はいつ終わるか分からない。自分はこのままでいいのか?」という思いが頭をよぎりました。「30代になると守りに入ってしまうかもしれない、やるなら今しかない」—そう考えた私は、もう一度自分の人生を立て直そうと決意しました。
ウェブ制作との出会い
自分と徹底的に向き合った結果、「どこでも収入を得られるようになって、いろんなところに住んでみたい」という新しい目標を見つけました。しかし当時の私にはその方法がまったく分からず、音楽をもう一度頑張るか、小説でも書いてみるか—思い浮かぶのはどれも実現が難しそうなものばかりでした。
しかし、情報というものは探し続ければ必ず見つかるもの。ある日、私は「インターネットで仕事をする」という方法を見つけたのです。
とはいえ当時は「インターネットで仕事をする」というのが今ほど一般的ではなく、選択肢はそれほど多くありませんでした。そんな中で最初に取り組んだのは、「ドロップシッピング」という在庫を持たずにECサイトを運営する方法でした。お金も技術もない私には最適に思えましたが、扱える商品に魅力が乏しく、ネットショップもまだ普及していない時代だったこともあり、1円も売り上げることができませんでした。

次に、「情報商材を作って販売する」という方法に目をつけました。当時は「ネットで簡単に稼げる!」といった謳い文句の情報商材が流行しており、「もしかしたら自分にもできるのでは?」と考えました。しかし実際に調べてみると、「誰でも簡単に1億円稼げる!」といった怪しい言葉が飛び交う世界。「これは自分が本当にやりたいことなのか?」と考えた結果、この道は選ばないことにしました。
こうして、「インターネットで仕事をする」という道を模索しながらも、なかなかうまくいかない日々が続きました。
そんな中、ひとつの気づきが訪れます。
当時私は、ドロップシッピング用のECサイトや商材を販売するためのLPを見よう見まねで作っていたのですが、この「サイトを作る」という行為そのものに楽しさを感じている自分に気がついたのです。かつてラッパー時代に、友人が作ってくれたウェブサイトを見たときのワクワクした気持ちや、「自分もこんなのが作れたらいいな」と羨ましく思ったことを思い出し、「よし、これをやってみよう!」と閃きました。
未経験からの挑戦
そうと決まればそこからは一気に…とはいかず、何をどうやって勉強すればいいのかも分からない状態でした。スクールを調べてみても一番安くて70万円。当時の自分には高額すぎて、とても払える金額ではありませんでした。ひとまず本屋に行って、わけも分からず「HTMLとCSS」の本を買ってきたのですが、これが大当たり。とても分かりやすくまとめられていて、ステップ形式で少しずつ技術を学んでいくことができました。
そしてなんとか一つのウェブサイトを作り上げる頃には、その楽しさにすっかり熱中しており、それからは次々と架空のウェブサイトを作りました。特に楽しかったのは、身近な友人たちをメンバーに見立てて、意味不明な架空のユニットを作り、その活動報告をするウェブサイトを作ったことです。これは周りの友人たちにも面白がってもらえて、のちにそのうちの一人がクライアントになるという思わぬ展開にもつながっていきました。

こうしていくつかのサイトを作れるようになり自信がついた私は、ウェブ制作会社への就職を考えました。しかし当時、ウェブ制作専業の会社はまだ少なく、ポスターやチラシなどのデザイン会社が兼業しているところがほとんどでした。ウェブ制作専業の会社は、当時私が暮らしていた名古屋市内に5〜6件ほどしか見当たらず、その中で求人を募集しているのはわずか2社だけ。しかもどちらも経験者のみの募集で、未経験者は門前払い。最低でも大学や専門学校でデザインを学んだ人しか採用していないというのが現実でした。それでもダメ元で目についたすべての会社にあたりましたが、面接さえもしてもらうことができませんでした。
次に東京の会社も検討しましたが、「どうせなら、もっと遠くへ—それならいっそ海外はどうだ?」と思い始めました。
バリ島での転機
その時、ふと頭に浮かんだのは、20代前半に貧乏旅行で訪れたバリ島でした。バリ島は私にとって初めての海外旅行先で、約1ヶ月滞在しましたが、治安がよく、気候や食事も素晴らしく、「老後はここに住めたら最高だな」と漠然と考えていました。「人生いつ何があるか…」という思いを深めていた私は、「老後なんてどうなっているか分からない。この夢を叶えるなら今では?」と、バリ島での就職を考え始めました。

調べ始めてすぐ、なんとバリ島で「日本人経営の旅行会社でウェブ担当募集!未経験歓迎!」という求人を見つけたのです。
「本当に未経験でいいの?」「しかもバリ島で?」
信じられない気持ちで、何度も募集要項を読み返しました。
これはもう、運命としか言いようのない出来事でした。
信じられない気持ちを抱えながら恐る恐る連絡をしてみると「一旦履歴書を送ってください」ということで、履歴書を送りました。するとなんと社長が私の勤めていたオーディオメーカーのファンで、とんとん拍子に話が進み、「ビザを用意するのでいつからでも来てください」ということになりました。海外での就職、未経験、言葉も話せない、お金もない、今思えばかなり危ない橋だったように思いますが、当時の私にとっては何かに導かれているような思いでした。
こうして就職先が決まった私は会社に退職の意向を伝え、車や家具などいろいろな持ち物を処分し、文字通り「トランク一つだけ」を抱えてバリ島へ渡ることになりました。
人生の武者修行
夢いっぱいでバリ島へ渡った私ですが、技術も経験もない私を待っているのが好待遇であるはずもなく、給料は日本円にして4万円ほど。これは物価の安いインドネシアでも、外国人の私がギリギリ生活できる程度の金額でした。
ベッド一つしかない8畳ほどの部屋が用意され、熱帯でありながらエアコンも冷蔵庫もなく、洗濯機などもないため手洗いで洗った生乾きの服を着る毎日。コンロもないので火も使えない、非常に質素な暮らしでした。生まれた時から当たり前にあった快適な生活や、乾いた洋服、温かいご飯がどれほどありがたいものだったか、これほど痛感したことはありません。

しかし不思議とつらくはありませんでした。むしろ、そこまで自分を追い込めていることに人生が変わる予感を感じ、ワクワクしていました。これまでとまったく異なる環境である「外国にいる」という状況も、良い刺激になっていたのかもしれません。
さて、そんな環境の中で任された仕事は、日本人観光客向けの旅行ツアーの予約サイトを作ることでした。先輩の横について、見よう見まねでコードを書きながら、簡単な更新作業や販売用の文章のライティングなどを行っていました。これまで作っていた架空のウェブサイトと違って、実際に公開して運用されているサイトを触るのはとても緊張感がありましたが、独学では習得できなかった体系的なコードの書き方を教わり、理解が不十分だった部分も先輩に質問できる環境は本当にありがたく、まさに求めていたものでした。自分が作ったページから初めてツアーの申し込みがあったときは、とても嬉しかったのを覚えています。
そんな日々を過ごしている中で、会社のサイトがすべて手作業で更新されているため、膨大な繰り返し作業が発生していることに気がつきました。ちょうどその頃WordPressやPHPの勉強を始めていて、これらを使えば毎日行っている単純作業の大部分を自動化できることを知りました。これを社長に提案すると「そういう提案を待っていました、全面的に任せるのでやってみてください」とサイトのリニューアルを一任していただくことができました。
しかし提案したものの、WordPressもPHPも勉強を始めたばかりでチンプンカンプンでした。情報サイトからコピーしたコードを貼り付けては、「おお、動いた!」「あれ、動かない…」という繰り返し。それでも、動かないときは原因を探して修正するというトライ&エラーを何度も繰り返すうちに、コードへの理解が深まり、やがて会社のサイトの更新に必要な箇所はすべて自動化することに成功しました。この経験は自分にとって大きな自信になりました。
帰国を考え始める
そんな海外での修行期間中、私を支えたのはSNSでした。FacebookとTwitter(現X)でバリ島での日々を発信して、家族やリアルな友人、Twitterの中だけの友達など、さまざまな人からもらうコメントは私にとってとても励みになり、また楽しみでもありました。
そんな私を見て面白そうだと思ってくれたのか、地元の友人や先輩、かつての上司などから「ウェブサイトを作りたいんだけど、服部くんにお願いできないかな」というような相談がときどき来るようになりました。しかし、私は当時勤めていた会社からビザを支給してもらっていたため、勝手に個人的な仕事を受けるわけにはいきません。実はその辺りの知識が不十分で、会社に迷惑をかけてしまったこともありました。
しかし、さまざまな相談が届くうちに「なんとかこの人たちの役に立ちたい」「もしかすると独立してもやっていけるのでは?」という思いが湧き上がってきました。この気持ちを抑えきれず、旅行会社を退職することにしました。しかしここでもまた難関が待ち受けていました。
空白の1年
当時私はバリ島で「たま」という名前の猫を飼っていました。たまは私にとって家族であり、帰国するなら当然連れて帰るつもりでした。しかし海外から動物を「輸入」することはそう簡単ではなく、狂犬病の検疫のために半年以上の時間と非常に煩雑な手続きが必要なことがわかったのです。本筋と関係がないので詳細は省きますが、ここでもさまざまなトラブルが発生し、結果的に1年以上もの時間を無為に過ごすことになりました。

この間、就労ビザがないので仕事をすることはできません。あいかわらず日本からはたくさんの相談が届きます。動きたいのに動けない、その間に白紙になった相談は数知れず、もどかしい時間が過ぎていきました。しかし「すべてのことには意味があるはず」と思い直し、「準備の時間を与えてもらった」と考えることにしました。
そしてその準備期間中に、人生を変える決定的な出来事が起こります。
「ジンドゥー」との出会い
ある日、中学時代の同級生から「私のウェブサイトを見てほしい」という相談がありました。彼女はプリザーブドフラワーという花を使って装飾品を作る教室を運営しており、その教室のウェブサイトを自分で作ったものの、どうもうまくいかないのでアドバイスがほしいとのことでした。
仕事として受けることはできないのでお金はいらないけど、勉強のために趣味として手伝わせてもらえないかと提案すると、彼女も二つ返事でOKしてくれました。
さっそくそのサイトを見てみると、見慣れないコードで書かれていました。彼女に確認すると「ジンドゥー」というホームページ作成ツールを使って作ったということでした。このツールは私にとって初耳で、「ふーん、日本で流行っているのかな」程度にしか思いませんでした。しかし中を見てみると、サイト運営者が自分で簡単に更新できる仕組みになっており、こうしたツールは今でこそ珍しくないですが、当時は非常に革新的でした。「これをしっかり使いこなせたら絶対に役に立つぞ」と直感した私は、彼女のサイトをどんどんカスタムしていきました。
そしてある日、いつものようにサイトの管理画面にアクセスすると、接続がうまくいかずサイトを編集することができません。何度試してもうまくいかないので、海外からのアクセスがブロックされているのかと思い、運営元に問い合わせてみました。その時の回答は「特にブロックはしていないので、一時的な問題だと思います」というようなものだったと記憶しています。
人生が動いたのはその後です。
私が送ったこの問い合わせをサポート担当者が見ている時、たまたまその背後を通りかかったジンドゥーの営業担当者の目に留まり、「このサイトはとても素晴らしい、誰が作ったのか」という話になったそうです。そして「制作者に会って話を聞きたい」という連絡が来ました。
一瞬何が起きたのか理解できませんでしたが、状況の重要性を把握したとき「これは大きなチャンスかもしれない」と思いました。しかし会いたいと言われても、私はバリ島にいるため会いに行くことができません。その旨を伝えると「一度オンライン通話で話しましょう」と言ってくださり、背後でニワトリが騒々しく鳴き叫ぶ中、緊張しながら担当者と話をしました。

そして、このサイトのカスタム方法を説明すると同時に、私の置かれている状況を伝えたところ、「帰国されるまで待っていますので、無事に帰国したら一緒にお仕事をしませんか」という信じられないオファーをいただいたのです。ちなみにこの時の担当者の方は今でも友人として、ときどき私の家に家族を連れて遊びに来ます。
帰国・独立
たまの検疫手続きも無事に進み、いよいよ帰国できることになりました。忘れもしない2014年2月、30年ぶりの大雪が降る日に成田空港に着陸しました。しかし、すぐに地元の名古屋に帰ることはできませんでした。その後約3カ月間、成田空港内の検疫所にたまが係留されるため、その世話のために毎日通う必要があり、空港近くにアパートを借りてそこで暮らしながら独立の準備を進めました。
まず最初にしたのはもちろんジンドゥーの担当者に会いに行くことです。当時麹町にあったオフィスに、やたらと日焼けした薄汚い姿で現れた私はさぞかし浮いていただろうと思いますが、そんなことはどうでもよく、とにかく仕事ができる喜びに満ち溢れていました。
また、同じ時期にもう一つ運命的な出会いがありました。当時Twitterで積極的に発信していた私は、同じように起業準備について発信していたある人物と知り合います。その人は私よりも先に起業し、すでに渋谷にオフィスを構えていました。私の状況を見守ってくれていたようで、「無事に帰国して何より。せっかく関東にいるなら一度会いませんか?」と連絡をくれました。そして渋谷で初めて対面し、様々な話をしました。すると「よかったらうちの仕事手伝ってよ」と、仕事のオファーをしてくれたのです。この人は今では兄のように慕う関係になり、重要な局面では必ず相談する大切な先輩です。
それ以外にも、地元の友人などから相談が数件来ていたため、独立したての私にとっては嬉しい悲鳴となるほどの仕事量で事業をスタートすることができました。
長くなりましたが、これが未経験から独立に至るまでのストーリーです。こうして振り返ると「運」や「偶然」による部分が大きいように見えますが、実際には「行動」や「発信」を継続してきたことが人生を切り開いていったのだということが分かります。
このブログを通じて伝えたいこと
独立して11年、今では住む場所を選ばずに仕事ができるようになり、山梨県北杜市という大自然に囲まれた環境の中で暮らしています。
このブログでは、地方移住とスモールビジネスの実践的なノウハウを発信していきます。私が未経験からウェブ制作を学び、独立し、自由な働き方を実現するまでには「行動」や「発信」を続けることが大きなカギになりました。
そして今、一人で仕事を続けていく中で、AIを活用することでさらに効率的に自由な働き方を実現する方法を模索しています。
- 「地方移住に興味があるけど、収入が不安」
- 「ウェブを活用してスモールビジネスを成長させたい」
- 「AIを仕事に取り入れたいけど、何から始めればいい?」
こんな悩みを持つ方に、私自身の経験をもとにリアルなノウハウをお届けします。自由な働き方を目指す皆さまの力になれれば嬉しいです。